カートをみる マイページへログイン ご利用案内 お問い合せ サイトマップ
RSS

 

【1】木村一成と叙情

『叙情都市名古屋』 【木村一成写真集】

(『叙情都市名古屋』を取材撮影中の木村一成/名古屋市中川区)

◆叙情という言葉との出会い◆      木村一成

 普段、何気なく「叙情性」とか「叙情的」という表現は使っていますが、歴遊舎の編集者から、『叙情都市名古屋』というタイトルで、名古屋の風土や景観にひそむ叙情を カメラで発掘することはできないか・・・と提案されたとき、身震いするような感情を覚えたものでした。

 一般的にいえば、写真とは、光学的に見えるものしか写らないことになっています。光量が100%のとき、光しかなくなってモノは写りませんが、光量が0%では真っ暗になって、やはりモノは写りません。写真というものは、この0%〜100%の間に無限に横たわる光と影の微積分であり、その陰影の一瞬を定着させる空間のストップウオッチなのです。

 ところが不思議なもので、撮影技術の巧拙や被写体の良い悪いを超えて、何か得体の知れない存在感を放つ写真というものがあるもので、光学的に見えないものまで撮ってしまっている気配を感じる場合があります。わたしは、それを「ゾワゾワした感じの写真」と呼ぶことがあります。(心霊写真のようなものではありません)

 ちょうどわたしも、こうした写真の不思議さをもっとつきつめてみたいと念じていたところ、この「叙情」という言葉とめぐり合いました。それも名古屋にしかない叙情・・・。     果たしてそんな都合のよい写真が撮れるのかどうか・・・。

 しかし、わたしが身震いしたのは、実は、写真家になろうと漠然と思い始めた原点が、この名古屋の街にあったことを思い出したからなのです。幼いころ、父に手を引かれて通ったのが、中村区にある向野跨線橋。この無数の鉄路が足下を通過する鉄橋の上から名古屋駅方面を見はるかしたとき、大都会のビル群の連なりが軍艦のように迫ってきました。しかし、畏怖するような驚きとともに、風景に圧倒される心地よさや、都会のスケールの美しさにうっとりして、父から譲られた小さなカメラで夢中になってシャッターを切ったものでした。

(『叙情都市名古屋』より/名古屋市中村区・向野跨線橋/撮影:木村一成)

 あの少年の日のめくるめく思い。無垢な気持ちで眺めていた名古屋の街に、つよい懐かしさが蘇ってきたのです。このように不意に遠い記憶を呼び起こしてくれたのが、「叙情」という言葉だったのです。「叙情」とは、何かの面影や記憶を召喚する、ものすごい力をもつ“呪文”のようなものではないか?

 光学的な作用だけでは撮りきれない名古屋の魅力も、「叙情」という切り口で眺めていけば、姿を現してくれるような気がしてなりませんでした。そこで、わたしの撮影は、向野跨線橋に立って写真家としての原点をみつめることから始まったのです。

■『叙情都市名古屋』のご注文は→こちら

 

【2】木村一成の発見

『叙情都市名古屋』 【木村一成写真集】

(『叙情都市名古屋』で取材撮影中の木村一成〈右から2人目〉)

◆名古屋を歩いて見つけたこと◆    木村一成

 以前からぼんやりと感じていたのですが、歩き始めて改めて気づいたことは、ちがごろの名古屋市内では、街路の彼方に見え隠れする超高層ビル群が、古い看板や地蔵の祠、人の営みなどと妙に馴染んでいることです。

 新しいものも、そこに存在するかぎり、時間を刻み過去をもちますが、それらより遥かに昔から存在し、歴史的な評価を受けたものとの間に違和感があるどころか、風景すべてが懐かしく親和していくようすが、不思議でなりませんでした。

 このとらえどころのない懐かしさをたよりに、「叙情」というものの正体を探してみようと、市内各地を歩きつづけました。1年半におよぶ探訪では、この街に生きる人びとの泥臭さや親しさが、名古屋を“安気に暮らせる街”へと育ててきたことを実感しました。

 かつて「白い街」と呼ばれたネガティヴな表現が名古屋から消えたのも、整えられた街の美観ばかりではなく、名古屋人のその飾らない心根が、街の美質として見直されてきたからなのでしょう。出会った人びとの表情に、忘れ難い懐かしさを覚えたのは、そのせいかもしれません。

(『叙情都市名古屋』で下町のアマチュア写真家を取材撮影中の木村一成〈左〉)

■『叙情都市名古屋』のご注文は→こちら

【3】ある日の撮影日記1

『叙情都市名古屋』 【木村一成写真集】

■2010年12月17日の探訪記 (写真と文:歴遊舎)

撮影をはじめて、かれこれ10ヶ月が経とうとしていた時期、今日は、名古屋市天白区の植田地区から街歩きをスタートしてみました。撮影取材では、カメラの木村一成と、地域史を研究する記者の内藤昌康、そして歴遊舎の岩月正直の3名がいつも一緒に行動します。

天白区は、昭和50年(1975)にお隣の昭和区から分区独立してできました。昭和30年代まで、この地区は、「天白ニンジン」(八事ニンジン)や、京都と並び称された「植田のタケノコ」、「暖地リンゴ」「桃」「梅」などの特産地として知られた農村地帯で、丘陵がつづく間に天白川と植田川が流れる、まことにのどかな風景が広がっていました。

そんな昔の地形を偲びながら、植田地区の高台・稲葉山に登ってみました。

山頂は公園になっているのですが、その少し下にはお寺が集まっています。門前から西を向いて風景を確かめる木村。何かピーンと来たのかな?

お寺の横にはお墓が。西を向いているのですが、谷をはさんだ対向斜面は東山丘陵で、そこにも八事霊園という5万体の墓を納める広大な墓所が広がっています。ここには46基の火葬炉をもつ日本最大規模の火葬場があり、名古屋市内唯一の火葬施設となっています。その一帯は8ヶ月前に墓参を兼ねた探訪を終えています。

墓苑と寺院の多い土地なのですが、人口増加で住宅や商業施設がその周囲を埋めていきました。また、名古屋市の東部丘陵に属するこの界隈は、さまざまな大学が密集する文教エリアでもあります。彼方の丘陵上に林立するビル群は名城大学の校舎です。こうした街の特色のなかにも、なにか惹かれるものはありまして、木村は感じる風景を何ショットか切り取っていました。つぎに稲葉山の山頂公園から北を見てみました。

冠雪した御岳が間近に見えました。名古屋市内からは、ふとした拍子にビルとビルの間から、この山が顔を覗かせてくれることがあり、手前のビルのおかげで遠近感を失くした遠景が急に近づいて見えることがあります。そんな実感を狙ってみたいものだねぇ・・・と話し合ったものです。ここからの御岳の感じをよく身体に馴染ませておき、今回の写真集では別の場所から撮影した神秘的な御岳が、蜃気楼のように現れた瞬間を掲載してあります。

さて、そこから東につづく回廊のような公園通路へ。ここから東を見たのですが、彼方に見える天白高校あたりまで、昔は美味しいタケノコを産出する竹藪と畑が広がる山地だったのですが、昭和40年代から始まった開発で、ご覧の通り住宅街に変貌しました。過去の写真があれば、今昔対比をすると面白い景観でしょう。それにしても、名古屋は空が広いです。

さて、天白区の植田地区はこのへんにして、ここから南へと車を走らせて緑区に移動しました。緑区は最後に名古屋市に編入された新しい区で、区内面積のほとんどを占める新興住宅街を擁しておりますが、旧東海道や八事道などの江戸時代の古道が区内を通っておりますから、昔ながらの街並みもいくつか残されています。今回は、緑区の南端にあたる大高エリアへ足を踏み入れました。

おや、これは何?

大高の町の中心部にある八幡社の一角で、大高学区の資料保管庫というものを見つけました。何が気になったかといいますと、ゴールデンな菊の御紋と、このコンクリート製のモダンな佇まい。おそらく戦時中の奉安庫に違いない…とわれわれは踏んだのですが、調べてみると、やはり。戦後、GHQから隠された資料が、この場所の隣にある、今の消防団の詰め所の下から出てきたので、現在ここを「資料館」と名付けて保管しているそうです。詳しくはこちら。

しかし、われわれは、埋もれた歴史を発掘して記録撮影しているわけではありません。今回のテーマは、もっと感性に属する「空気感」のようなものをとらえることです。

内藤は、むしろ、歴史的な風物の方に詳しいために、ついついこうした物件に目がいきやすいものですから、近くの橋の上で地元の方を呼びとめて、さっそく町の歴史を聞き出しています。

この橋のたもとで、今は小公園となっているところが、かつて大高町役場があった場所で、それを示す石碑の傍らに、道路元標もありました。

道端に設置してあったものを公園内に移したものですね。道路元標とは、その町の道路の起点となるポイントを示す標柱で、昔の役場の前や中心地の辻などに、ポツンと建っている姿を今でも全国各地で見かけます。交通の邪魔になると片づけられるケースが多いのですが、なぜか郷愁を誘う物件として、内藤は、この道路元標の位置確認と写真撮影を無上の喜びとしている節があります。木村はそんな内藤を微笑んで見ていました。

さて、さらに路地奥を探索してみましょう。

こうした虫籠窓をもつような古い家もあります。その一方で、レトロ・モダンな門構えの民家もあります。

細い路地の塀伝いに進み、振り返ると、また素敵な庭と建物です。

さらに奥へと進みますと、うっそうとした樹木に覆われた小高い丘に突きあたり、その樹木におおわれた急な坂を上っていきますと、突如として広い場所に出ました。

ここが大高城跡です。桶狭間の戦い、すなわち東海地方に覇権を及ぼしていた今川義元が、尾張の小軍勢にすぎなかった織田信長に討ち取られるという戦国波瀾の幕開けとなった戦いの舞台のひとつです。当時、ここは今川軍の前線基地でしたが、近くの鷲津砦に構える織田軍と向かい合って孤立化。その鷲津砦につづく丘陵を、ここから見てみましょう。

まさに目と鼻の先…こういう距離感を、昔の人は「指呼の間」と表現しました。指をさして呼べば応えることができるほど近い距離ということですね。これでは、なかなか身動きもとれなかったのでしょうが、大高城内の兵糧も尽きかけたころ、織田軍を蹴散らして援軍を寄こしたのが、当時は今川軍の配下にあった徳川家康でした。ところが、そのとき、今川本隊から寝耳に水の知らせが届きました。「今川義元が討たれた…」と。

主を失って統制がとれなくなった今川軍は敗走しますが、これを機に家康は故郷の三河・岡崎に帰って、織田信長と同盟関係を結ぶことになりました。

その桶狭間の方角を大高城跡から見はるかす内藤昌康です。

内藤は語ります。「やはり、この入り組んだ丘陵地形は、知多半島の景観ですよね。今は名古屋市緑区ですが、かつては知多郡大高町だったことが地形上からも納得できますよ。そもそも当時は、この城跡の南から西はすぐに海が迫っていましたしね…」

なるほど、こういう地形を活かしながら、戦国武将たちは、砦を築き、戦いに臨んだのでしょう。低い丘陵地がゆったりと凹凸する天白区植田界隈の景観とは、似ているようで微妙に異なります。天白区は愛知郡というグループに属していました。

木村一成は、そんな話を聞きながら、名古屋でありながら名古屋テイストではない歴史的・地理的風土を、どう表現したらいいのか、楽しく迷っているふうでもありました。そしてわれわれは、城跡の大手口ではなく搦め手口から、再び入り組んだ街並みに降りていきました。

これが、その途中の道から見下ろした景観です。かつてはここから眼下に伊勢湾が広がる風光をまぶしく見られたのでしょう。今では伊勢湾の海岸線から4キロも離れてしまい、家が密集しています。

さて、農家のつくりをした屋敷が数多くのこる町並みを抜けて、またまた細い路地を探訪していますと、不意にこんな風景に出合いました。

懐かしい佇まいの散髪屋。ポツン…と建っている感じですが、古い町並みに溶け込んでいます。入口には腰にカーテンをつけたガラス扉。その向こうには、額装の油絵がいい味を出していました。

何も、こうした年季の入った建物や歴史ある路地にしか叙情は育まれにくい・・・だなどと、決めてかかっているつもりはありません。最先端の建造物とシンクロする新しい街と人にも、切ない何かを嗅ぎ取ることもありますから。しかし、おしなべて、人の手あかのついたものや、使いこまれたもの、年月の試練を経て評価の定まったものには、不思議な安心感や落ち着きがあることは否めません。ただ、木村一成が、そこに場所の地霊(ゲニウス・ロキ)を感受するかどうかは、また別問題ですから、単に懐かしいというだけでは、写真にならないようですね。そこに不思議な深みが存在するようです。

そうこうするうち、老舗の酒蔵に行きあたります。ここは、あらゆる媒体でよく紹介される場所。「醸し人九平次」というブランドの日本酒を醸造する蔵ですが、我が国のみならずフランスでも、ライス・ワインとして高い評価を受ける純米吟醸の絶品を醸造しています。萬乗醸造・久野九平次本店です。

一応、蔵元さんのお話をうかがって、外観を撮影させていただきましたが、ここは、醸造過程をじっくり記録撮影しておきたいところです。愛知県は、伏見や灘といった酒どころではないように思われていますが、三河地方の山間部で産み出される「空(くう)」といった銘酒はもとより、数々の絶品を世に送り出す、知る人ぞ知る酒どころなのでございます。大量生産することはできませんが、ここにも「ものづくり愛知」の職人気質が、しっかりと根を張って息づいているのです。

ここ大高には、このほかに、下の写真の山盛酒造や・・・

下の写真の神の井酒造があり・・・

なんだか、酒蔵めぐりの探訪記になってきました。

おや、ここも渋い風景ですね。

ファサードだけをコンクリートとモルタルで武装した、いわゆる看板建築のこの建物。むかしは東海銀行の大高支店だったもの。玄関は封鎖されていますが、うっすらと東海銀行の文字が読めました。現在の三菱東京UFJ銀行に吸収されましたが、かつては東海地方の地銀ナンバーワンとして強い影響力を放っていました。この裏に回ってみますと・・・

なんだか、建築オタクのようになって参りましたが、大高という歴史ある町ならではの寂びた魅力とでも申しましょうか、こうした旧建造物がそのまま残存する不思議な風景を見ながら、子どもたちが育つということも、また少年少女の感受性を豊かにする、大切な素材のように思えてなりませんでした。

日の暮れきる前に、大高の町を辞去したのですが、どういう風の吹きまわしなのか、今日の最後は、瑞穂区という都心部に近い繁華街にたどりつきました。

そして、たまたま近所の名古屋市博物館で開催中であった「名古屋タイムズでふりかえる名古屋の歴史」という企画展を観ることができました。経営難から解散してしまった名古屋タイムスという夕刊紙が残してくれた、昭和20年代から撮影されてきた膨大な写真資料の重要性について、学芸員の方とお話を交わし、われわれは今、現在にも失われつつある風景のなかに、名古屋の魅力を探す試みをしている旨を伝えますと、是非に、とエールを送ってくれました。

博物館を出たときには、ずいぶん暗くなっていたのですが、博物館の界隈には、またなんともいえず、しみじみとさせてくれる路地や市場がありますので、貪欲に散歩してみました。

しだいに、光が足りなくなって、撮影も難しくなってきたのですが、木村一成は、こんな路地奥にも入り込んで、ここに暮らす人びとの、そこはかとない気配が浸みこんだ何かを、砂場から磁石で砂鉄を掬いあげるような手つきで、丹念に探しておりました。

写真集では、実は、この路地奥探訪のさらに後、完全に日も暮れきった時刻に訪れた瑞穂通三丁目市場での出会いを収録して、本日の成果となったのであります。

今日一日で800カットは撮影したでしょうか? とても興味深い風物をたくさん撮影することができましたし、数多くの方々との出会いもあったのですが、それでも99%を外さなければなりません。どれもこれも捨てがたい魅力に満ちた写真ばかりです。しかし、編集とはむごいもので、何を切るか・・・ということが作業の大半を占めてしまうものなのです。

したがって、最後まで残り、本書に掲載された写真は、それはそれは力のある、きわめて純度の高い作品なのです。

こんな探訪を1年半にわたって敢行し、名古屋市内16区をつぶさに見てまわった成果が、このたびの『叙情都市名古屋』にはぎっしりとつまっているのです。

■『叙情都市名古屋』のご注文は→こちら

【4】ある日の撮影日記2

『叙情都市名古屋』 【木村一成写真集】

2011年9月25日の探訪記  (写真と文:歴遊舎)

今日は、午後からの取材スタートになりました。どんな風景に出合えるか、どんな人と交流できるのか、毎回シナリオのない探訪です。

名古屋市緑区の有松裏という土地は、名鉄有松駅の北側の丘陵地にあたるのですが、この斜面から丘の上にかけて住宅が密集しています。そんな坂のある風景を撮ってみよう、となったのです。まずは、その土地全体の雰囲気を、対向斜面から見てみましょう。

有松小学校の裏手の崖っぷちから、北を見ます。眼下には旧東海道の有松宿の佇まいが左右に広がっています。この東海道と並行して、谷底を名鉄名古屋本線が走っていますが、家並みに隠れて見えません。その向こうにせりあがっていくのが、有松裏の丘陵地ですが、マンションや大型ショッピングセンターが建ち並んで見通しは効きません。この界隈は、名古屋城からは直線距離で10劼睥イ譴討い泙垢掘旧知多郡ですから、やはり広大な濃尾平野にダイレクトにつながる平坦なイメージのつよい名古屋城下町とは、趣が大きく異なります。

しかし、現在ではまぎれもなく名古屋市緑区として新しい歴史を刻んでおりますから、その移り変わりのようすが歴史的な街並み景観のなかに、どんなふうに馴染んでいるのかいないのか、いろいろ感じてみたかったわけです。

この後、有松裏の方にも足を向けて、坂道がつづく新しい町並みを歩いて、住人のみなさんと立ち話をしながら、家が建てこむ前の風景の記憶などを語っていただきました。そんななかから1カット、今回の写真集には収録されています。

そして、お決まりではありますが、伝統の有松絞りで知られた江戸時代の風情を色濃く残す有松の宿場町へ降りて、歩いてみました。ここは、東海道五十三次の宿駅では、39番目の 池鯉鮒(ちりゅう)宿と40番目の鳴海(なるみ)宿の間にあって、旅人を泊める施設はありませんでしたが、東海道の土産物として人気も高かった「有松絞り染めの反物」のおかげで、大繁盛していた街並みなのです。

旧街道の彼方を銀色の高速道路橋が、ズドンと横切っていますね。2011年3月に開通した名古屋第二環状自動車道という都市高速道です。通称で「名二環」と呼ばれています。

確かに歴史的景観を台無しにしている建造物には違いありませんが、財政逼迫の折、地下トンネル化するには、余りにも金がかかりすぎる上、都市交通体系の早期整備に関するいろいろな思惑もからんで、かくなる結果になったわけです。木村は、これもまた近代における日本の都市風景のひとつの典型でしょうけど・・・と、シャッターを切っておりましたが、「しかし、ここは夕陽による色彩マジックでも借りないかぎり、やはりアンバランスが目立ち過ぎますね」と語っていました。

歴史的景観と近代構造物との取り合わせが不思議だ・・・という程度の浅い認識で撮影すると、写真が勝手に社会批判性を帯びる方へ引きずられて、癖のある意味をもってしまいかねないし、ここに住まう人たちの住民感情を慮ると、どうなんだ、この景観・・・と、興味本位の撮影を慎んできた姿勢を、ここでも崩すことはありませんでした。木村は、早々とカメラをしまいこんで戻ってきました。

あくまでも、その土地に住む人びとの気持ちに寄り添った写真を撮ってきたなかに、違う何かを入れたくないようでした。この心栄えこそが、『叙情都市名古屋』の作品群を貫く精神なのです。

さて、この旧街道を先へ進み、鳴海宿へ向かってみました。

鳴海宿の中心部に入る直前で、扇川という都市河川を渡りますが、そこに架かる中島橋の上にさしかかったとたん、われわれは同時に、風景の発する「気」のようなものを感じて、移動する車を停めました。

車は、川沿いのちょっと奥まった場所に停めさせてもらいましたが、そこがまた不思議な空間でした。

庇の骨組みが残っている感じや、全体のつくりから、市場のような空間を駐車場に充てたような印象の建物。この近所にある魚七食品有限会社の駐車場になってはいますが、昔の話を聞けなかったのが残念です。

この駐車場の目の前に扇川が流れ、相生橋という名の、人と自転車しか通れない狭い橋が架かっています。そして川に沿って自転車道が付けられて、近所の人たちが散歩したり、ジョギングしたり・・・。近くに名鉄鳴海駅があるものですから、そこと旧東海道をつなぐ近道に、この相生橋が利用されてもいるようですが、橋の上から何本か釣り竿が伸びています。

聞けば、ハゼがよく釣れるとか。高校生の男子生徒2人組がクーラーの中を見せてくれましたが、おお、すでに形のいい30匹ほどの釣果が上がっていました。ふたりとも、なんだか、おっとりした、まるで少年のような雰囲気を残した釣り好き青年だったので、思わず木村は撮影させてもらいました。

撮影中にも、狭い橋の上を年配のご夫婦が散歩で通ったり、乳母車を押したおばあさんが通ったり、買い物帰りの主婦が自転車を曳いて通ったり、もう頻繁に人の往来はあるんですが、なぜかみなさん、「今日は、釣れるかね・・・」だの、「汐が満ちてきたかや?」だの、なんか一言ぼやいていきます。ときには、撮影中の木村にちょっかいを出したりする人もいて、まっすぐ通れない自転車の人は困ったでしょうが、そんな人たちもさして迷惑そうな顔をしていないんですね、急いでいたとしても・・・。

こういう場合、大都会では、早くどけと言わんばかりの不機嫌な顔をつくって、他人を牽制する人が非常に多いものなのですが、どうしたわけか、この狭い橋の上では、みなさん顔なじみでもなさそうなのに、妙に朗らかで屈託がないのです。これぞまさしく、名古屋の「まぁ、ええがねぇ〜」の心でございましょう。

「まぁ、まぁ、そう急がんでもええがねぇ〜」「そう、いきりたたんでもええがねぇ〜」 悪気があるはずもない場合、まぁ、ちょっとくらい迷惑をかけるけど、赦しておくんなさいよ・・・。そうした鷹揚さを相手に求めて、その場を暖かく収める名古屋流のお互い様精神。いいですね、こういう穏やかな雰囲気は。

すると、そのとき、撮影していた青年たちの背後から、若いお父さんの「うわ〜、なんか、違うもんを釣っっちゃったよ〜」の悲鳴のような半ベソの声が・・・。

奥さんも、びっくりして覗きこみます。あれれ、亀を釣りあげていますね。ハゼ釣り用の細い竿が弓なりにしなってしまうので、諦めて糸を持って引き揚げています。周りにいた人も集まってきて、しだいにその場が笑いに包まれていきます。

困り果てたお父さんのうろたえる様子が正直で、なんか、とてもいい雰囲気です。やっとのことで釣り上げた亀の口から釣り針を外そうと、お父さんはまた奮闘です。小さな息子も、駆け寄ってきて、もう興味津々・・・。

お母さんもどうしたものかと、お父さんの狼狽ぶりを気にしながらも、この椿事を楽しんでいるようです。やっと針が外れたものの、亀は首をすくめたまま甲羅に閉じこもってしまいました。そんな様子をカメラに撮っていたお母さんに、地面スレスレにカメラを置いて、手前に亀を入れ、お子さんの顔を下から撮ると面白いですよ〜などと、アドバイスします。

お母さんは素直です。その通りに撮ってみたら、今までにない変化のある写真が撮れたものだから、俄然、カメラのアングルというものが面白くなったようで、ウキウキしているようでした。

この無垢な感じのお母さんと、その小さな息子さんを川沿いで撮影させてもらいましたが、一騒動あったあとの和んだ雰囲気のままに、とても素直に撮れました。夕闇が近づく束の間に出会った、扇川の人情でした。橋の名前が相生橋というのも、なにか、こうグッと来ましたね。写真集では、どんな表情で写っているのでしょうか。

■『叙情都市名古屋』のご注文は→こちら

【5】いよいよ印刷開始

『叙情都市名古屋』  【木村一成写真集】

■2011年11月16日(水)   (写真と文:歴遊舎)

本日は、本書の印刷をお願いしている長苗印刷株式会社(本社:名古屋市)の春日井工場で、印刷の刷り出しに、写真家の木村一成とともに立ち会ってきました。いよいよ本番の印刷でございます。

まず、工場長の児島さんから、今回のFM印刷のレクチャーを受ける木村。見本に見せていただいた地図帳をルーペで覗かせていただきます。「う〜ん、こ、こ、細かい…」。 いわゆる網点がはっきりする一般的なAM印刷との違いを体感します。

1階の工場へ降りてゆき、そこで生産本部・平版印刷部のチーフマネージャーの河内さんから、さらに突っこんだFM印刷とAM印刷の違いを解説していただきます。

まず、AM印刷で印刷された紙面を、200倍の光学特殊ルーペで覗いた画像をコンピュータ画面上に映し出していただきました。

4色分解された網点のドットが、かなり拡大されて見えますね。

次に比較として、FM印刷による印刷物を同じ要領で拡大して見せてもらいますと、「う〜ん、こ、こ、細かい…」。木村は2階で見たのと同じ感嘆の声を上げていました。写真では比較しづらいでしょうが、もう、200倍してみると、FM印刷の方が圧倒的にインクのドットが小さく、写真に近い状態で印刷されています。

木村も、写真と同じようなイメージで印刷されるこのFM印刷には、高い関心を寄せてきましたが、粒子レベルから見せていただくと、深く納得できたようです。

つづいて、児島さんに工場内を案内していただきますが、「おや? この袋は何ですか?」と木村。児島さんはニコニコしながら、 「片栗粉ですよ」と・・・。 

「カ・タ・ク・リ・コ、ですか?」 実は、この粉が、印刷されたばかりの印刷面に薄く撒かれて、下の印刷面とくっつかないようにする役割を果たします。インクは比較的はやく乾くとはいえ、紙に馴染んで落ち着くまでには時間がかかります。「それが、こんな粉でねぇ…」。木村もビックリ。

最近の環境にやさしいインクは、大豆油から製造された天然素材を使っているし、紙の原料のパルプは基本的に樹木だし、これじゃあ、まるで印刷物は植物加工物ですね。美しく仕上がった紙面を見ると、これからは、「おいしい印刷」と言ってしまいそうです。

さて、いよいよ、本日の刷り出しの部門へ。

4色に分解されてできた刷版(さっぱん)が、印刷機に取り付けられたあと、真っ白な原紙が、長い工程を通過して、それぞれの色を重ね、最後の送出口からパン、パン、パンと送り出されてきます。

その最後の出口をチェックしてくださっています。ここでは、用紙が波打っておどったり、決められた場所以外に送り出されていないか、時折、真空車といわれるローラーの具合を確かめながら、厳しく監視しています。この送出口にたまる印刷物を取り除いて、下からなかを覗いてみます。

ツメのようなものが付く横棒は、奥から飛んできた紙を下方へ導くガイド。いまその横棒が手前と奥に見えますが、その間に真空車という紙を安定させるブレーキ装置が付いた横棒が、もう一本入ります。真空車は、印刷面をこすらないように、印刷箇所の違いによって、位置をずらせたり、車輪の幅を微妙に変えたりと、結構神経を使うそうです。また、噴射口のような丸い部分は、エアーを吐き出して紙を上から押さえつける装置で、これらのおかげで、印刷された紙は静かに一か所に落ち着くというわけです。

その隣では、次の印刷のために、真っ白な原紙をさばいているところです。

包み紙を開いて束になった用紙を出しますが、これ、かなり重いんです。A全用紙100枚で、しかも写真集用の厚めのマットコート紙なので、ずしりと重い。でも、このまま使うと、紙が重なって出てくる危険もあり、どうするかといいますと、持ち上げて紙の間に空気をいれてバラけさせてやるんです。

慣れが必要で、そう簡単にはできる技ではございません。わたしたちが、家庭でA4コピー用紙の500枚束に空気を通すのとわけが違います。そして、崩れないように、華麗な手つきで、さっと脇の台に積んでいきます。プロフェショナルの職人さんの動きには、まったく無駄がない。だから華麗なんですね。

さて、刷り上がった紙の印刷状態をチェックしていきますよ〜。工場長の児島さんも立ち会っていただき、校正との違いを綿密に検査していきます。

版ズレ、色みのチェックなど、見るべき項目は多岐にわたりますが、印刷紙の端っこに印刷されるカラーチャートの具合を見ただけで、状態の変化はすぐにわかるといいますが、わたしらにはなかなか・・・。そこで、基準光が当たる見台に印刷紙をもっていって、じっくり拝見します。

さっそく木村は、持ってきた初校の印刷紙と、再校で調整された、今刷り上がったばかりの印刷紙とを見比べます。河内さんは、丁寧に教えてくれます。

「いや〜、ほぼ思い通りといいますか、納得のいく刷りですね〜」と、木村も嬉しそうです。写真プリントと印刷されたものが、まったく同じというわけにはいかないことはわかった上で、最高の再現状態を出したいという木村のプロフェショナルな目は、さらに細部への注文を入れます。とくに暗くなった部分の奥に隠れた微妙な色合いを、もう少し立ち上げたい・・・とか。

そこで、さまざまに相談した末に、4色のうち、墨色を若干抑えてみることにしました。隣にある測定器で色みをスキャンして、キャリブレーション(校正)し、前回の基準値から墨のみ1ポイント抜きます。そして、測定器と標準値とを介して、段階的に連鎖する測定の体系を作り上げます。この校正の連鎖をトレーサビリティといいます。

このトレーサビリティをきちんと追っていかないと、何をどうしたのか、あれこれ試行しているうちに、本当に思考が錯誤してしまいますから、大切な記録です。すべてデジタル化してありますので、墨版(黒)へ、1ポイント抑えるインク調節指示を送ります。

それを行なっている間に、河内さんから、基準光の説明を受けます。印刷物は、光によって見え方が違いますから、これが狂わないように、どの光を標準とするかを決めています。それをチェックするのが、これ。

なんでしょ、これ? 実は、2枚の光センサーが貼り付けてあって、その色がピタリと合わないと、基準光ではないことがわかる、そんな道具です。実際に、見台から離れた場所で、このセンサーを開いて見せていただきました。

わかりにくいかも知れません。ピンボケだし(汗)。無理やりですが、ちょっと拡大してみますね。

左右で若干ですが、色みが異なりますね。こうなると、基準の光源のある場所へ、印刷物をもっていかなくてはなりません。微妙ですね〜、ナイーヴなものなんですね〜、光とは…。

次に、印刷機械のメンテナンスについてのお話も伺いました。小さなベアリング。これ、どこに使うのでしょう・・・。

このベアリング、とっても大事な部品なんだそうですよ。カラー印刷機は、前述しましたように、分解された4色のCMYK刷版(シアン/マゼンタ/イエロー/キー・プレート=ブラック)が、通過する白い用紙の決められた位置に確実に印刷されるようにセッティングされています。この超精密なポジションをピタッと決めてくれるのが、ツメ軸トーションバーという部分で、この軸をガタが出ないように滑らかに動かす役割を担うのが、こんな小さなベアリングなんです。

実際に、その機械部分を開けて見せていただきました。なかなかここは、見られませんよ。ここが減ってガタが出るようでは、版ズレも起こしかねませんから、まだ十分に使えるという時期でも、早め早めに交換して、安定した品質を保証しなければなりません、と河内さんは力説します。

日本の印刷技術は、機械技術の発達に支えられながらも、こうしたマメなメンテナンスもあいまって、世界最高クラスを誇っています。部品ひとつひとつも、耐久性や高い精度の品質をもち、まことに美しい印刷をわたしたちは日常生活で目にすることができるのです。

そして、何よりも、細かいミスも逃さない徹底した工程管理とチェック技術、そして過去のデータの膨大な蓄積からフィードバックされる、どんな難しい客注でもこなしてしまう職人技。しかし、最後の最後は、機械ではなく、この人間の経験と勘という部分が、「ものづくり日本」の恐るべき技術力を強固にしているのです。

いよいよ、最後の印刷になりました。表紙の印刷に入っていきます。少し濃いめの感じの方が、色が紙に馴染んで落ち着いて薄くなったあと、ちょうどよくなる…という指示が出ます。

今回の表紙では、最後にPPという光沢コーティングを施すために、そこでまた若干色が深く見えてきますから、本の表紙という、もっともインパクトを必要とする部分における、写真表現の魅力を最大限に引き出すために、最適の色を作っていただけました。これが、職人技というものでしょう。

刷り上がった印刷紙は、印刷面が紙に馴染むまで、最低でも4時間〜5時間は寝かしておかねばなりません。

こうして、刷り上がった印刷紙は、静かに熟成を待つのです。そして、製本会社にまわって、余分な部分を裁断され、1丁2丁と8ページ1セットに折りたたまれて、本として背中を綴じて製本されていくのです。

みなさんのお手元には、こうした数々の工程と職人技による厳しいチェックを通過した「入魂の書籍」が、届けられるものと思います。

新刊の書籍を手に取ったとき、なんだか写真表面にサラサラした粉っぽいものがついていたら、こんな印刷の過程を思い出して、末長く大事にしてやってください。

長苗印刷さん、素敵な印刷をありがとうございました。その真心は、きっと読者に伝わると信じています。

■『叙情都市名古屋』のご注文は→こちら

【6】読者のご感想・評判

■思わず手にとって(名古屋市北区・23歳・男性・映像関係)

すごくキレイな写真ばかりで、見ていて感動しました。実際に、この写真集に掲載されている風景や人を見に行きたくなりました。

■希少な情景に惹かれます(名古屋市昭和区・41歳・男性・教員)

名古屋の「安気な」魅力が写真から滲み出るような、とても魅力的な写真集で、気に入りました。

■人の佇まいにぬくもりを感じました(神戸市西区・50歳代・女性)

住んでいる神戸市では、とくに阪神淡路大震災の後、昔からあった親密なコミュニティが消えて、人と人とのつながりが希薄になり、大好きだった神戸の穏やかな風土が崩れていくような気がしていました。そんなときに、この写真集を見て、なんて人の表情や佇まいにぬくもりがあるんだろう、と感動しました。かつての神戸には確実にあった、この穏やかな雰囲気。なんだか、名古屋に引っ越したくなりました。今は沖縄に嫁いだ友人は、愛知県出身なのですが、プレゼントでこの写真集を贈ったら、名古屋に帰りたくなったとしみじみと言っていました。

■こういう名古屋本を待望しておりました(名古屋市北区・30歳代・女性・研究職)

やっとアトモスフィアのある都市として、名古屋の都市空間を主張する傾向が生まれ始めたようで、本当にすばらしい試みだと思います。私自身、名古屋という都市を、今回、この写真集が切り取っているようなスタイルで再主張していくべきだと考えている者ですので、大いに励まされました。第2弾も期待しています。

■『中日新聞』2012年1月12日朝刊・「この人」欄で木村一成と本書の紹介が。

「しみじみ名古屋を撮影/街と人の写真集を出版」と題して、都市化が進む一方で下町の風情も残っていたことを、つぶさに発掘してきた木村一成のまなざしを紹介。人びとの屈託のない笑顔や優しいまなざしのなかに、東京や大阪とは違う「安気に暮らせる街」の姿を発見した功績を高く評価。「いま、2歳の娘の写真集も作らないとね」と照れ笑いする木村一成の横顔とともに掲載されました。

■誰かへの贈り物にしたい(愛知県春日井市・33歳・男性・写真専門学校在学中)

とても良いと感じました。なんで、何気ない町や人が、こんなにドラマチックに写っているのか…。どこにでもある店、どこにでもある道、普通の人々なのに…。1冊は保存用で取ってありますが、いつか誰かへの贈り物にしたいと思っています。

■人情味あふれる写真集(名古屋市昭和区・72歳・男性)

名古屋人の人情味あふれる風情が、どのページからも伝わり、木村さんのカメラの力のすばらしさを感じました。写真を趣味としている私にとって大変参考になりました。また、展示されることがあったら、知らせてください。今後も、名古屋の良さをアッピールする場所や気質を大々的に取り上げる出版をしてほしいです。

■『朝日新聞』2011年12月24日・文化欄「ナゴヤカルチャー」に書評が掲載

“「しみじみ」の正体探して”と題して、本書の魅力と狙いをわかりやすくご紹介いただけました。都市整備が進んで未来的風景が現出する一方で、人と出会えば、昔ながらに「まあ、ええがね」と穏やかに返ってくる、このアンバランスが心地よい・・・。こうした情緒が古層に残っている街から、それを取りだそうとした写真集であることが強調されています。

■続編も期待しています(名古屋市中川区・77歳・男性)

俳句で街を吟ずることは難しいと思っていますが、この写真集を見て、数々の示唆を得ました。また、著者・寄稿者・編集者のコメントや巻末の主張を含む文章には、それぞれ深く感銘すると共に、語彙もたいへん勉強になりました。写真を通じて「感じる」ことが、「考える」ことにつながっていくという貴重な体験を得ました。

■わたしと彼女との写真も撮ってもらいたいほどです(大阪府柏原市・40歳代・男性)

しっかりした装丁を見て、若干身構えしながらも、軽くページを繰るだけのつもりが、時間をかけて一気に読み進めてしまいました。

木村一成さんの作品、想像以上の物語を感じてしまいました。改めてプロの写真家の力強さを思い知りました。印刷用紙にも凝った編集者のこだわりが感じとれます。

わたしと彼女とのスナップを、どこかの街角で撮っていただいて、こうした写真集に残してもらいたいと思いました。写真を眺め、1枚1枚の写真に付けられたキャプションを読みながら、感動すら覚えました。

とっても良い本でした。ありがとうございました。

■素晴らしい写真集に感動(京都市下京区・50歳代・男性)

とっても哀愁漂う写真集ですね。私は、こうした傾向の写真、大好きです。雪化粧した名古屋の街の連作を見て、あぁ、1年以上かけて、季節ごとの街の表情の移り変わりも、じっくりと追っていったのだなぁと、撮影のご苦労を偲びました。

■直接注文で受け取った宅配便を開けてみると…(神奈川県川崎市高津区・40歳代・女性)

仕事からあわただしく帰り、食事の支度をする前に開封したところ、表紙を見て震えてしまいました。書かずにはおられず、ペンを執りました。

1枚1枚の写真に添えられた文章に心が柔らかく包まれ、幸せな気持ちになりました。一番好きなのは、順番に、「老夫婦」、「水入らず」、「中小田井の女の子」、「雪之城変化」からつづく「薄雪都市」へ至るまでの雪の情景の流れ、「矢田川孤影」、「名港西大橋」…

忠実に写真原版の色を印刷する難しさというのをホームページで拝見していただけに、なんと美しい仕上がり! さぞやご苦労されたことかと思いました。

ページトップへ